名古屋城の前身は戦国時代の那古野城で、今川氏の支城があり、それを織田信秀が奪い、子の信長を入れました。近世名古屋城の二の丸に那古野城があったといわれています。
信長が城を清洲に移したため、その後はしばらく使われませんでしたが、徳川家康が慶長15年(1610)、西国の外様大名らに命じ、天下普請を行って大規模な城を築きました。家康の九男義直が城主となります。この時期、家康が名古屋城を築いたのは、大坂城の豊臣秀頼や豊臣家に味方する西国の大名を牽制するためで、大坂城包囲網の一環でした。
五重の天守には金の鯱(しゃち)が載り、「尾張名古屋は城でもつ」とうたわれ、広大な城域と、加藤清正によって築かれた高石垣も評判となり、江戸時代を通して、徳川御三家の一つ尾張徳川家の居城として幕末まで存続しました。
天守や櫓は明治以降も残っていましたが、天守および本丸御殿は昭和20年(1945)の米軍の空襲によって焼失してしまいました。天守は昭和34年(1959)、鉄筋コンクリートで復元され、本丸御殿は現在、木造で復元工事が進められています。